私は自分の育った家庭環境で
いろいろな事がありましたので、
基本的に人生はかなり厳しいものだという、
認識を持っています。
だから、自分の子どもたちも
大切には育ててきましたが、
温室育ちの純粋培養より、
少々のことがあっても抵抗力を持っている
雑草のように育てていきたいと思っていました。
子どもの人生にいつまでも親が付いてやって、
守ってやれるわけではないでしょう。
学歴もあってこしたことはないし、
精一杯勉強して高度な教育をうけることも
大切だとは思いますが、
それ以上に大切なのは、
厳しい環境でもめげることなく
生き抜こうとする力だと思います。
だから私は、子どもたちに学習習慣や
読書習慣を身に付けさせることによって
知的好奇心を育てることに情熱をそそぎながらも、
子どもを「野に放つ」気持ちを持ち続けました。
金銭的に無理だということもありましたが、
そういう意味で、我が家の子どもたちには
一貫して公立学校に通わせました。
公立学校にはさまざまな環境に育つ
子どもたちがいますが、
もまれながら成長して欲しいと思いました。
確かにいじめのようなことを
受けたりしたことも何度かありました。
それでも我が家の子どもたちは、
苦しみながらも、
なんとかそれを跳ね返したり、
受け流したり、
じっと通り過ぎるのを耐えました。
いじめのようなことは日常茶飯事に起こるので、
そういうことはいつでも起こりうるという気持ちで
子どもが今どのような状況にあるのか
親としていつも把握するように努め、
気持ちを吐き出せるように話を聞いたり、
思い詰めないように気分転換をさせたりしました。
また、どうしようもない厳しい状況だと感じた時は
早めに担任の先生に情報を入れて、
早めに対処していただけるように気をつけました。
そのように気を配りながらも、
私はどんな時も、
自分の子どもが「被害者」だと
一方的に考えないようにしました。
どちらかというと
「自分の子どもが他人を傷つけてはいないか。」
「自分の子どもが加害者ではないのか。」
「自分の子どもが他人に迷惑をかけてはいないか。」
という気持ちを持ちつづけて、
子どもたちの様子を見守ってきたつもりです。
教育現場にいると、親御さんの中に、
「うちの子に限って」という考えを捨てられない方に
出会うことがあります。
そういう親御さんの子どもは一見優等生に見えるし、
子どももそんな親の期待に応えようと
頑張ってしまいますが、
かえって自分の失敗や欠点と向き合えず、
いろいろなことをごまかそうとしたり、
見栄をはったりして、
ゆがんでしまうことも多いようです。
だから私は、我が子に心からの愛情を持ちつつ、
「もしかしたら、うちの子が…」
という気持ちを忘れませんでした。
そのおかげで、
いろいろな子ども同士のトラブルの時に、
我が家の子どもたちの「いたらなさ」を
親子で共有し、
直すべきことは何なのか、
一緒に考えることができたのではないかと思います。
そんな親子での確認作業を怠ったり、
見過ごしたりしているうちに、
気がついた時には子どもが修正が難しくなるほど、
ゆがんでしまうことがあるようです。
子どもが何かのトラブルに巻き込まれた時、
子どもの「いたらなさ」、
そんな子どもの親である「いたらなさ」から
目をそらさず、
決して「世間体」を優先するのではなく、
真実と向き合い、
そのことを親子が成長できる良いチャンスだと
前向きに受け止めることが、
重要なのだと思います。
「世間体」で子どもがどう見られるかということより、
どうしたら少しでも正しく生きられるのか、
親子で真剣に考えることの方が、
何倍も「幸せ」に近づく可能性が高くなるように思います。
子どもたちに笑いながら言われたことがあります。
「家に一番怖い人(自分たちの欠点を厳しく見抜く人)が
いるので、外の人が優しく見える」と。
ただ、子どもの「いたならさ」に向き合った後で、
親はどんな子どもであっても、
自分だけは子どもに寄り添い続け
励まし続けるという無条件の愛情を持ち続けることが
子どもの救いになり、変化のきっかけになると思います。
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