文系で陸上(競技)オタクだった息子が医者になった理由14

子育て

浩介が医学部受験のため浪人し猛勉強していた年、
由美子は県立高校の進路指導部で勤めていた。
家庭に受験生を抱え、
職場でも受験生の指導や手助けをする日々だったのだ。

進路指導室で世間話などをする時に、
進路課の先生方には
息子の浩介の無謀な挑戦話を聞いてもらっていた。
みんなそんなことが成功するのかと半信半疑だった。
センター直前の新型インフルエンザの時にも、
絶体絶命のピンチだねとおっしゃる先生もいた。
そんな中、物知り風の隣の男性英語教師が、
「暗記したことが睡眠中に
 綺麗に整理されることがあるからね。
 1週間寝たことがどう転ぶかわからないよ。」
と言ってくれて、由美子は信じたい気持ちになった。

熱が下がった浩介は
1日目はさすがにふらついていたが、
2日目にはすっかり元気になり食欲も戻った。
久しぶりに勉強をしてみても、「わかるわかる」と
本当なのかどうなのかわからないがとても明るい。
寝ている間に1年間の疲れが取れたのだろうか?
驚異の回復力で元気そうになり、
解熱してから4日目、
なんと無事にセンター試験の日を迎えたのだった。

そして浩介は2日間にわたるセンター試験を
無事に受験することができた。
元気そうに試験場に向かう浩介の姿を見ていると
1週間眠り続けたことが、
逆に良かったのではないかと思うほどだった。

そして自己採点。
2階の自分の部屋に籠もって採点をしている。
1階のリビングで、
家族が緊張しつつドキドキしながら待っていると、
しばらくして浩介が1階に降りてきた。
晴れやかな顔。満足そうな微笑み。

どうだった?と家族みんなで尋ねると、
「92パーセント取れた!!!」と発表する浩介。
医学部合格には90パーセント以上は欲しいと
聞いてはいたが、仁志も由美子も
なんだかピンとこない。
「92パーセント?すごいじゃん。
 そんなに取れるものなんだ・・・」
と放心してしまった。

各教科ごとに取った点数を読み上げていく浩介だが、
由美子は脱力してしまってよく覚えられなかった。
ただ、現代文は100点満点中100点だったと言ったので、
さすが国語教師の息子だけあると
自画自賛するような気持ちにはなった。
いや、100点取るのはなかなか難しいと心から思う。
センター試験の問題で高得点を取るためには、
脳が十分休息して元気な状態でなければならない。
記憶力だけではない、
集中力が試される試験でもあるからだ。
国語や英語で高得点が取れたのは強みだったと思う。
由美子はほっとしながら、やっぱり小さい頃から
読み聞かせを頑張っておいて良かったとぼんやり思った。

センター試験の結果を志望大学で判定してもらって、
国立〇〇大学医学部のA判定が出た。
後は2次試験で数3と小論文と面接がある。
国語が得意なのはこのような時にも有利だ。 
浩介は小論文も面接も自信があるようで、
後は数3の勉強に集中すれば良かった。

浪人はこの1年しかさせられないと言っていたので、
浩介はセンター試験の結果を使って、
私立の文系の学部に出願した。
それも、一般受験なら偏差値が高すぎる大学ばかり。
しかし、センター92パーセントの威力は凄いらしい。
なんと考えたこともなかった慶應大学法学部と
早稲田大学政経学部から合格通知が届いたのだ。
とんでもない有名大学の合格通知に
家族中狐につままれたような感じだった。

由美子の職場の進路指導の先生たちにも、
医学部に行くより
慶應か早稲田に行くほうがいいのではないかなどと
言われたりした。しかし我が家はもともと私学に
行かせるつもりはなかった。とは言っても
医学部に失敗したらもう後はない。
なんとかして私立の大学に通わせるとしたら、
早稲田の方がまだ庶民的なのではないかと思って
最終的には早稲田に入学金を納めたのだった。
(聞くところによると、現在では慶應大学の
 センター利用入試は無くなったらしい。
 東大受験者が滑り止めに利用して、
 辞退者が多すぎることが理由らしい。)
浩介はこの時の2大学の合格通知を
今でも大切に保管して持っているらしい。

しかし、浩介は初心を貫徹し、
2次試験後、国立〇〇大学医学部に晴れて合格した。
出身高校では、奇跡のようなことを1年で成し遂げたと
大きな話題になったらしい。
親である仁志も由美子も本当にびっくりしてしまった。
陸上競技にしても、大学入試にしても
とにかく自分で決めたこと、自分の掲げた目標は
なんとしてもやり遂げる浩介にただただ驚かされた。

合格がわかって、初めて仁志と由美子は
1年間お世話になった京都の代々木ゼミナールに
菓子折を持ってお礼のご挨拶に伺った。
京都駅から予備校までの道を2人で歩き、
浩介が1年間この道を往復したのだと思い
しみじみ感慨深かった。
予備校でお世話になった先生にお会いして
お礼を述べると、
「浩介君はとにかく朝から晩まで勉強していました。
 昼の食事をする時間でも、
 口に食事を入れる時以外は
 ひたすら勉強していました。
 物凄い集中力でした。」
と言ってくださった。
1年間一度も家で勉強する姿を見せなかった浩介は
予備校で電車の中でひたすら勉強したらしい。
(寂しいことにこの時の京都の代々木ゼミナールは
 現在では無くなっているそうです。)

気胸になってお医者さんに応援してもらって、
好きな陸上競技ができたという喜びが
浩介のモチベーションを維持し続けたのだろうか。
親である仁志も由美子も
いろいろな巡り合わせに感謝せずにはいられなかった。

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