文系で陸上(競技)オタクだった息子が医者になった理由9

子育て

実は由美子は
浩介が気胸の手術をするようになってから、
時々突然激しい動悸に襲われることがあった。
心臓病にでもなったのかと不安になり、
救急車を呼んだことも、
入院して検査をしたこともあった。
しかし毎回異常なし。
診断は心因性のパニック障害ということだった。

肺が破れて萎んでしまったレントゲン写真。
全身麻酔をして手術室に入っていく姿。
術後に麻酔が切れた時、痛みに苦しむ浩介。
その度に胸が締め付けられるような気持ちで
心配してきたのだ。
今後、いつ破れるかわからない肺で
試合に臨むという浩介を、
最後までしっかりと
見届けることができるのだろうか。
由美子は、気をしっかり持たなければと
身が引き締まるような緊張感を
あらためて感じた。
 
それから2週間後の5月、
浩介の高校生活最後の春の高体連が始まった。
浩介は宣言通り、
覚悟を決めて最後の調整に臨み、
試合の日を迎えることができた。

試合の朝は何を食べさせたものかと
母親は緊張する。
オリンピックで銅メダルを取った為末大選手が、
試合の日の朝はうどんを食べると
おっしゃっているのをテレビで聞いて、
由美子もそれに倣い鍋焼きうどんを準備する。
腹持ちが良くてエネルギーになりやすいものが
良いのかもしれない。由美子は、
この大会が浩介の最後の
試合になるかもしれなかったし、
肺が破れた時に
救急車を呼ぶことになるかもしれないので、
競技場まで足を運び、試合を見守ることにした。
 
400メートルハードルは
トラック種目の中でも
身体に負荷のかかりやすい最も過酷な種目だと
言われているそうだ。
こんなハードな種目を専門にしてきたので、
浩介が気胸になどなったのではないかと
由美子は勘繰ってしまう。
400メートルトラック1周に、
高さ91.4㎝の高さのハードルが10台。
速さとテクニックを
兼ね備えなければ勝ち残れない。
何事も難しいことに挑戦することの好きな
浩介らしい種目選択だった。

高校に入学したばかりの時に
いち早く陸上部の練習に参加し、
ハードルを専門としている先輩にアタックして
いろいろ教えを請うたと
嬉しそうに話していた浩介。
他校の顧問で
ハードルの専門である先生のところにも
指導を受けに通っていたこともある。
去年は近畿大会にも進んだが
今年はあんなゴタゴタがあったので
難しいかもしれない。

予選は6組中の3組。
バテながらも懸命にハードルを飛び越え、
2着でゴールし、
かろうじて決勝に進むことができた。

しかし決勝では
やはりスタミナが足りなかった。
スタミナが勝負のハードル競技で、
やはり大会一ヶ月前の気胸は、
少なからず響いたのだ。
前傾姿勢になるべきハードルで
体が起き上がってしまう。
8台目、9台目をなんとか飛び越え、
ラストの10台目で前足が上がりきらず
ハードルを倒した。
それでも転倒することなく7位でゴール。
6位までが近畿大会出場なので、
ギリギリのところで涙を飲んだ。

それでも県大会7位入賞。
出場が危ぶまれていたことを思えば
大会に出場し、
入賞できたことを喜ばなくてはいけないだろう。

近江西高陸上部員で入賞する者、
近畿大会出場を決める者が続々と出てきた。
部長の浩介の頑張りもあっただろうが、
部員全体の士気が高く、
お互いに激を飛ばし合う姿に
由美子は感動を覚えた。

今年転勤してきた顧問の大島先生が
陸上の指導者としてエキスパートで、
部員の士気を高めている要因でもあるだろう。
4日間に渡る大会は晴天に恵まれ、
滞りなく競技が行われ、
残すところ団体競技の
400メートルマイルリレーの
決勝だけとなった。

由美子はスタンドの観客席に座り、
両手を組んで澄み渡る青空を仰いで祈っていた。
幸いなことに
ハードな400メートルハードルを、
無事にゴールすることができた。
そして最後のマイルリレー。
第3走者の浩介が無事バトンを
アンカーの第4走者に繋ぐことができますように。
悔いなく最後まで走り切ることができますように。
神様、ご先祖様、どうか浩介をお守りください。

一人400メートルを走るマイルリレーは
大会の最終種目で、走順や戦術によって
大きく順位が変わってくることもあり、
最も盛り上がる種目と言われている。
競技場に集まった選手役員全員が見守る中、
各校選りすぐりの選手たちが凌ぎを削る。
ハードルで近畿大会出場を逃した浩介にとっては
ラストチャンスだ。

第一走者は4月に入学したばかりの
高一の桐生くんが抜擢された。
浩介の小学校・中学校の後輩で、
小さい頃から俊足で地元でも有名な少年だった。
第二走者は三年生で800メートル専門の谷口君。
第四走者は200メートル専門の沖田君。
短距離のエースだ。
6位までに入賞すれば近畿大会に進める。

決勝戦スタートの号砲が放たれた。
俊足で有名な桐生くんが4位でバトンをつなぎ、
第二走者の谷口くんが一人抜かれて
5位で浩介にバトン。
浩介もスタミナが足りず6位でバトン。
アンカーの沖田君が踏ん張り抜いて、
6位のままゴールを果たした。
浩介の気胸のせいで存続が危ぶまれた
マイルチームが意地を見せ、
近畿大会出場の切符を
手に入れることができたのだった。

ただただ無事に走り切ることだけを願って
観客席で祈っていた由美子であったが、
リレーで近畿大会出場が決まり、
なんとも複雑な心境になった。
一度は解体しかけたチームが浩介を始め
若者たちの執念で
近畿大会出場を成し遂げたのだ。
素晴らしい快挙だ。
しかし、浩介はこれからまた6月の近畿大会まで
走り続けることになってしまった。

由美子の心配はまだ終わらない。

PVアクセスランキング にほんブログ村

コメント

タイトルとURLをコピーしました