文系で陸上(競技)オタクだった息子が医者になった理由8

子育て

それからの2週間、由美子は浩介の「安静」に
協力せざるおえなかった。
電車通学だったが車で高校の入り口まで
送迎することにした。
教科書なども置き勉して、
極力荷物を少なくした。
学校に診断書を提出して体育の授業を見学した。

そうした2週間を過ごした後に
再びT先生の診察を受ける。
診察の前に放射線科で
胸のレントゲンを撮っておくのだ。
安静期間を終えてドキドキしながら
レントゲンを受けた浩介だったが、
T先生は診察でレントゲン写真をかざし、
「よく頑張ったね。綺麗に穴が塞がって、
肺が元どおりに膨らんでいるよ」と
私たち親子に笑顔を向けた。
ほっとした顔で浩介も嬉しそうだ。

T先生は浩介と由美子の顔を順番に見つめると、
おもむろに話を始めた。

「肺は今一応塞がったんだが、
 自然治癒でひっついた場合は再発率が
 50パーセントと高いんだ。だから今は
 塞がっているけれどまたいつ破れるかわからない。
 でも気胸は破れると自覚症状があるからね。
 浩介君も破れた瞬間、破れたってわかるよね。
 痛いって感じるよね。」

「はい、わかります」

「そう。気胸は破れた時わかるからね。
 その時はどんな時でも、たとえ試合中であっても、
 トラックの上であっても、 
 絶対に走るのを止めなくちゃあいけないよ。
 それが約束できるかな」

「わかりました。止まります。どんな時でも」

「そうだね。それが守れるならその瞬間まで
 走ってもいいよ。走ることを禁止するなんてことは
 医者の私でもできないんだ。でも破れたら止まる。
 それだけは絶対に守ってくれよ」

「ありがとうございます。先生には感謝いたします。
 嬉しいです。走ってもいいって言ってくださって。
 本当に嬉しいです。でも約束は守ります。
 万が一試合中に破れたら 
 その時は諦めて走るのを止めます。
 ありがとうございました。
 最後まで僕の願いを叶えようと
 いろいろ考えてくださってありがとうございました」
 
浩介は何度もT先生に頭を下げ、
感謝の言葉を繰り返した。
浩介のこんなに嬉しそうな様子を見て、
由美子は呆れるやらほっとするやら。
しかし、ほっとしたのも束の間、
由美子にはすぐに新たな心配が
心に湧き上がってきたのだ。

T先生の診察が終わり帰宅した夜、
ほっとした様子の浩介の部屋に、
由美子は意を決して入っていった。

「せっかく喜んでいるのに
 水を差すようで可哀想だと思うけど、
 お母さんはリレーは
 辞退した方がいいんじゃないかと思う。
 先生は肺が破れる瞬間まで走ってもいいって
 おっしゃったけど、
 リレーの試合の途中で破れた時、
 あなたは本当に止まれるんやろか。
 もし止まるとして他の走者の人に迷惑をかけるよね。
 あなたにとって最後の高体連だけど、
 他の人にとっても最後の高体連。
 あなたの事情で棄権することになったら
 申し訳が立たないんじゃない?
 ましてあなたは部長なんだから
 自分のことばっかり考えないで
 他の選手の気持ちのことも
 十分に考えないといけない立場でしょう?
 辛いのはわかるけどリレーは他の人に
 代わってもらった方がいいんじゃないかな。
 ハードルは個人種目だから
 先生のおっしゃる通りでいいと思うけど」
 
由美子の話が終わっても
浩介は黙ったままだったが、しばらくすると
「わかった。明日みんなに話してみる。」と
静かに答えた。

反論してくることを想定していた由美子にとって、
浩介の反応は意外なものだったが、
母親として陸上競技より何より
とにかく息子の命を守りたい一心の由美子は、
その時少しほっとしたのだった。

ところが次の日、部活を終え、
夜になって学校から帰ってきた浩介の顔は
感動に震えて生き生きとしていたのだった。
リレーを辞退して傷心で帰ってくると
由美子は思っていたのに。

「どうだったの?」

「それが、それがさあ・・・。
 みんなに事情を説明して
 リレーを辞退するって言ったらさあ」
そこまで言った浩介の目から突然涙が溢れ出た。

「みんなが俺と最後までチームで走りたいって。
 そう言ってくれたんだ」

「ええっ?それはありがたいお気持ちだけど、
 あなたの肺が試合中に破れたら、
 それで棄権になってしまうかもしれないんだよ」

「うん、そう説明したけど、そうなった時は
 そうなったで諦める。
 ここまで一緒に練習してきた俺と
 最後まで走りたいって・・・」

「みんなが?」

「うん、みんなが」

「先生は?顧問の先生はなんておっしゃったの?」

「・・・どうせやるなら思い切ってやれって」

「ええっ?思い切ってやれって?
 そんなあ。信じられないよ」

「俺、嬉しかった。みんなの気持ちも先生の        
 気持ちも。だから、どうせやるなら思い切 
 って走るって決めたんだ!」

「信じられない。本当に親の心配を
 なんだと思ってるのよ!」

由美子はことの成り行きに
ただただ驚くばかりだった。

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