文系で陸上(競技)オタクだった息子が医者になった理由7

子育て

内科の呼吸器外来に早めに出向き、
取り次ぎの看護師さんに事情を説明し、
浩介に気づかれないうちにT先生と
前もってお話させていただきたいと申し出た。
その願いは受け入れられ、
他の患者さんの診察の合間に
T先生とお話しさせていただくことになった。

「先生、ご無沙汰しております。
浩介が1年生の時には大変お世話になり
ありがとうございました。おかげさまで
3年生になるまで陸上を頑張ることができまして、
2年生では800メートルハードルと
400メートルマイルリレーで、
近畿大会にも出場することができました。
それでますますやる気を出して3年生になって、
最後の高体連まであと一ヶ月と言うところにきて、
昨日です。また右肺が破れてしまいました。
親としてはあの子の身体が心配です。
無茶をして命に関わるようなことがあったら
取り返しがつきません。
先生、今日あの子を診察してくださる時、
先生からドクターストップを
かけていただけないでしょうか。
本人は走れないなら死んだほうがマシやなんて
とんでもないことを言います。
親がもうやめといてくれって言っても
全く聞く耳を持ちません。
ここはお医者様にこれ以上走るなと
言っていただくしかありません。」

由美子は堪えようのない心配な気持ちを
T先生にぶつけたのだ。しかし、
黙って由美子の話を聞いていたT先生の言葉は、
由美子の想像を越えた意外なものだった。

「お母さん、心配なお気持ちはよくわかりました。
でも、残念ながら
おかあさんのご希望には沿いかねます。
浩介君の病気が心臓病ならば、
おっしゃるように
ドクターストップをかけることができます。
でも気胸の場合はドクターストップを
かけることはできません。」

「ええっ?どうしてですか?」

「一ヶ月後に高体連なんですよね。
もし、手術をしなくても2週間くらいで
肺の穴は自然にひっついて塞がります。
自然にひっついた場合は手術をした時より再発率が高く
50パーセントくらいの再発率になりますが。
それでも傷口が塞がると肺はまた元どおりに膨らんで
走れる状態にはなるんです。」

「でも、再発率が高いってことは、走っている途中でも
破れる可能性があるってことですよね。
万が一高体連の試合中に敗れたらどうするんですか?」

「試合中に破れたら、そこで試合を止めて
それ以上走らなければいいんです。
気胸は自覚症状があるので、
ご本人は破れた瞬間に破れたってわかります。」

「そうおっしゃるならハードルは個人競技なので
試合途中でも止めることはできると思います。
でも、400メートルマイルリレーは団体競技です。
しかも浩介は第3走者なんです。
もし走っている時に破れても、
第4走者にバトンを渡すまで、
無理して走るに違いありません。
そんなことになったら命に関わりますよね。」

「その時はキッパリ諦めて止まっていただくしか
ありませんね。医者として息子さんに話をするとしたら、
その時、たとえ試合中であっても、
必ず走るのを止めなければならない。
その点だけだと思います」

由美子は大きなため息をついた。
お医者様に頼んでドクターストップをかけてもらったら、
浩介の命が守れると信じていたからだ。
気胸の場合は再度破れる瞬間まで
ドクターストップをかけられないとは・・・。
由美子は引き下がれない気持ちでいっぱいになり、
「そこをなんとか」と食い下がってみたが、
T先生の見解が翻ることはなかったのだった。

その後浩介を交えた診察が行われた。
浩介の頭の中はなんとしても走りたいと言う思いで
いっぱいなので、開口一番、泣きそうな声で
「手術してください」と言った。
ところが今までその申し出を受け入れていたT先生が
いつもとは違う案を提案した。

「一ヶ月後の最後の高体連にかけているんだよね。
それなら身体を傷つける手術は時間が足りない。
手術した後、記録を出せる身体に戻るには
時間が足りないと思うよ。
だから今回はたとえ再発率が高くても、
自然治癒で傷口を塞ぐ方法を選択したらどうだろう。
2週間安静にしていたら縮んだ肺の傷口は自然に塞がって、
肺も元の大きさに戻るはずだ。
そして後の2週間で試合で走れるように調整する。
君の試合に出たいと言う気持ちを叶えるためには
この方法しかないと思うがどうだろう。」

先生のこの言葉に、絶望して打ちひしがれていた
青白い浩介の顔がパッと明るく輝いた。
「走る方法があるんですか?
先生のおっしゃるようにすると走ってもいいんですか?」

「その代わり2週間は
可能な限り安静にしなくてはいけないよ。
学校に行って授業は受けてもいいけど、
できるだけ歩き回ったり重いものを持ってはいけない。
体育の授業も休んだ方がいい。
肺の破れた穴がひっついて塞がるまで、
できる限り安静にしなくてはいけないよ。」

「はい!安静にします!絶対に安静にします。」
浩介は嬉しさを噛みしめながら答えた。

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