文系で陸上(競技)オタクだった息子が医者になった理由11

子育て

高校3年生の7月、
浩介はようやく受験生になった。
ところが肝心の志望大学や学部が
はっきりと決まらないようだ。
陸上部の部長としての実績が認められて、
周囲からは教師に向いていると
言われているらしい。

しかし、仁志も由美子も高校の教師であるが、
浩介自身は両親と同じ仕事をすることに
あまり気が進まないらしい。
志望大学や学部がはっきりとしないまま、
時がすぎ、結局、
負けず嫌いの性格からか無謀にも
京都大学の教育学部を受けると言い出した。

7月から受験勉強を始めて半年で
そんな有名大学に行けるとは到底思えない。
由美子は本気でそう思ったが、
浩介は自分の思う通りにしか
行動しない息子だと思い知っている。
荒唐無稽な大学志望に
全く現実味を感じなかったが
浩介に対して何もいうことはできなかった。

(ここまで読んでくださった方は、
 陸上競技ばっかりやってきた息子が
 なぜこんな無謀な大学志望をするのか
 不思議に思われるかもしれません。
 息子は本当に部活一色の高校生活で
 塾にも行かず、唯一Z会の通信教育を
 やっていただけなのですから。

 このようになった理由をあらためて考えると、
 我が家では小学校入学と同時に、毎日
 子どもは勉強するのは当たり前だ
 ということを刷り込んでいった
 からなのではないかと思います。
 家庭学習の習慣が身についていると、
 いざ勉強しなければならない時に、
 やはりエンジンがかかりやすいのです。
 
 そしてもう1つ大切にしてきたことは、
 進路に関して子ども自身が決定する
 自由があるということです。
 自由であるということは自己責任を伴います。
 たとえ失敗しようとそれは自分が決めたことです。
 親はできる範囲で子どもの意志を尊重し、
 できる範囲でサポートすることしかできません。
 子どもが失敗したとしてもそれはそれで
 有意義な人生経験だと思います。
 自分で決定し、失敗し、修正していく。
 そういう過程を経なければ、
 自分が一番やりたいことには
 たどり着けないような気がします。)

 
夏休みに入った 8月の昼下がり、
家の2階の自分の部屋で勉強をしていた浩介が、
由美子呼んだ。

「お母さん」

「ん、どうした?」

「あの、実は今、肺が破れた・・・」

「ええっ?うっそう・・・」

「いやあ、まじで。今破れたわ」

「ええっ!!
 勉強してただけなのに?
 いやあなんで?
 しんじられへん」

あれほど怖れていたことが、
こんなにも変わりばえのしない
何気ない日常で起こるとは。
なんと不思議なことか・・・。

市民病院の呼吸器外科のT先生の
診察を受けるのはこれで何回目だろう。
レントゲンで肺が破れているのを
確認したT先生は、
ためらうことなくこう言った。

「自然治癒させた右肺が破れましたね。
このままだと大学受験を乗り越えられないので、
手術しましょう」

ようやく受験勉強を始めたばかりだったのに。

浩介は高3の受験を控えた貴重な夏休みの最後に
3回目の胸腔鏡手術を行うことになった。

一度手術のために開けた傷跡は使えないらしく、
さらに3箇所穴を開けることになるらしい。
胸に9箇所も穴を開けることになるなんて。
まるで戦争にでも行ったようなものではないか。

3回目の入院。
3回目の全身麻酔。
3回目の胸腔鏡手術。
麻酔が切れてからの痛みとの戦い。
なんと壮絶な高校生活であろうか。

痛みがマシになった頃、
さすがに浩介も焦りを感じて
ベットの上で受験勉強を始めた。
巡回にきたT先生に恥ずかしげもなく
京都大学を受験するつもりだと
話してしまったようで、
T先生も京都大学の陸上部が使っている
グラウンドの話なんかをしてくれる。
T先生はなんと京都大学医学部卒の
エリート医師なのだ。
3回目の退院を迎えた時、T先生はこう言った。

「もう二度ど破れないようにね、
肺を縫うんじゃなくて傷口を
くくってしまいましたよ。
 風船の口を縛るようにね。
 もう大丈夫だ!
 もう破れることはないよ。」と。

お医者様とは凄い人間なのだな。
庶民には想像もつかないようなことを
いとも簡単に口にする。
由美子ただただ呆気にとられてしまった。

PVアクセスランキング にほんブログ村

コメント

タイトルとURLをコピーしました