文系で陸上(競技)オタクだった息子が医者になった理由12

子育て

その手術から半年が経ち、
浩介の大学受験の合格発表の日がやってきた。
センター試験の結果は判定C。
短い受験勉強だったので十分に
2次試験の準備ができたわけではないだろう。
受かっている確率は低いとわかっていたが、
ネットでの合格発表の時間が過ぎても
浩介から連絡がないのは
不合格だったからに違いない。

由美子が仕事場から思い切って電話をすると、
予想通り浩介の声で「ダメだった」
という返事が返ってきた。
わかってはいたが、やはり辛いものだ。
浩介は京都大学1本だったので
浪人が確定したことになる。
由美子は仁志に結果をメールで送る。
やっぱり世の中はそんなに甘くはないのだ。

仁志と由美子は、学校での勤務を終え、
浩介と妹の純子が待つ自宅へと戻った。
不合格発表の日だったので、
さぞかし元気がないだろうと
予想していた由美子だったが、
待っていた浩介は意外にも
さっぱりとした明るい表情をしていた。
明るいどころか、
目がキラキラと輝いている。
どういうことなのだろう。

「お父さん、お母さん、
聞いて欲しいことがあります。
僕は今日、大学を落ちて、
やっと自分のなりたいものが
はっきりとわかりました。」

「ええっ?どういうこと?」

突然切り出された浩介の話に、
仁志と由美子は狐につままれた。

「僕は、医学部に行って、
医者になりたいです」

「はああ?医者?医学部?
そ、そんな無茶な。
てか貴方文系やん。
なんで?
なんで急に
医者になりたいなんて思ったん?」

「僕はほんまについこないだまで
陸上のことしか考えてなかった。
陸上競技が大好きやったから。
小さい頃からスポ少のコーチに
可愛がってもらって、楽しくて。
だからスポ小のコーチになりたいって
本気で思ってた。
でも、スポ少のコーチはボランティア
だからそれを仕事にはできないし。
と言って体育の教師でもない。
陸上競技のコーチになりたいなあと
思ったりしたけど、
僕は一流選手になれる素質もないし、
それなりの結果を残せない選手は
コーチにもなれないし。
でも、自分が何回も気胸になって、
何回も陸上を諦めなくっちゃ
いけなくなりそうだった時、
最後まで僕の希望に寄り添ってくれたのは
お医者さんだった。
もう、絶対無理だって思った時、手術して、
走れるようにしてくれたのはお医者さんだった。
お医者さんって凄いなあ、
医学って凄いなあって、僕感動したもん。
八方ふさがりの暗闇の中で、
僕に光を与えてくれたのはお医者さんだった。
だから、だから、僕は医者になりたい。
自分のしたいことが
できるようにしてあげられる医者になる。」

あまりに意外な宣言に心の底からびっくりした。
そして、すぐに由美子はそんな荒唐無稽なこと
実現する訳ないと思った。

「そんなことできる訳ないやん。
あんた文系やし。
医学部やと数3がいるし、
理科ももう1教科いるやろ。
うちは浪人するなら
1年しかさせられんよ絶対。
それに私立の医学部行かせるお金もない。
1年の浪人で国立の医学部行けるの?
そんなん無理に決まってるやん。
ほんまに実現できるかどうか、
高校の進路の先生に聞いてきなさい。
たぶんそんなん無理やって
言われるに決まってるわ。」

「国立の医学部でもいろいろな入試があるから、
センター試験重視でセンターの割合が高い
大学やったら
なんとかなるかもしれへんねん。」

「どこよ。そんな大学。」

「例えば〇〇大学の医学部とか。」

「センターの割合が7割で2次試験が3割。
2次試験は数3と小論文と面接だけ。」

「お父さん、そんなん無理やと思わへん?
どう考えても現実的やないわ。
今回は京大あかんかったけど、
手応えあったんやろ?そう言ってたやん。
1年浪人して来年もう一回京大受けたら
ええんちゃうん?」

「明日高校の進路の先生に相談して聞いてこい。」

と夫が言った。
3年間の陸上競技と気胸との戦いが
やっと終わったと思ったら、
いったい今度は何を言い出すのか。
このバカ息子は・・・。

次の日、早速卒業した近江西高校に行って、
浪人して医学部を目指したいと言ったらしい。

「先生どう言うてやった?」
と由美子が聞くと、

「3年はかかるって言われた。」と浩介。

「やっぱりな。普通そう言わはるやろ。
ほんでどうするん。」

「やっぱり医学部目指したい。
やっと目指したいものがはっきりしたんや。
絶対になんとかしたい。」

「お父さん、こんな無茶なことやめさせてえ。
うちは浪人させても1年だけやし、
私は講師で公立の大学じゃないと
行かせられんもん。医学部行くために
何年も浪人させることなんかできひんわ。」

夫に浩介を嗜めるように頼むが、
夫はしばらく考えた様子で、

「半年だけ様子みてやる。
夏まで頑張って、
全く見込みがないようだったら、
その時は潔く諦めて
文系の大学行かなあかん。」

とおもむろに答えた。

浩介は半年間の猶予を与えられて、
ホッとした様子で、

「予備校は京都の代々木ゼミナールに
しようと思います。
1年間で結果出すので、
迷惑かけるけど、
どうかよろしくお願いします。」と

最後は殊勝に頭を下げた。

予備校にかかるお金は約百万円。
京都まで新快速で通う定期代も
かなりかかりそうだ。
でも、結局浩介のやる気に圧倒されて
私と夫は聞き入れるしかなかった。

浩介は、本当に一度言い出したら
絶対に諦めないのだ。その頑固さは、
陸上競技の時もそうだった。
意志が強いと言ったら聞こえがいいが、
そんな気持ちがあるならもう少し早く
自分の気持ちに気がつけばいいのに。
まあ、自分の気持ちというものは
時が来なければわからないものなのだろうか。

兎にも角にも、浩介の1年浪人して
国立大学の医学部に入るという
無謀な挑戦が幕を落としたのだった。

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