文系で陸上(競技)オタクだった息子が医者になった理由3

子育て

一刻も早くと言う本人の願いにしたがって
すぐに手術を行うことになった。

手術当日は仁志と由美子の他に、
祖母の光枝や叔母の友子も集まって、
手術室に入っていく浩介を見守った。
祖母の光枝は全身麻酔をする浩介を心配して
涙を流しながら浩介を励ましている。
母親の由美子は心配を通り越して緊張の方が強く、
涙は出なかったが、
ただただ無事に手術が終わることを祈った。

三時間ほどして手術室から出てきた
浩介の意識が戻ると家族中ほっと胸をなでおろした。
しかし、麻酔が切れてからの浩介の苦しみ様は
やはり激しかった。
胸に穴を開けたのだからさすがに痛むようで、
夜も病室に付き添っている由美子に
「痛い、痛い」と呻きながら、
体勢を変えて欲しい訴えた。
その度に由美子は浩介の表情を見ながら、
いろいろな角度からタオルを身体の下に差し入れて、
浩介が体勢を変える手助けをした。
尿道には尿を取る管が入っているし、
肺にも溜まった空気を抜くドレーンが刺さったままだ。
管だらけの身体で痛みを逃すために
体勢を変えることは大変だ。
浩介自らが志願した手術ではあったが、
痛みに耐える浩介を由美子は
不憫に思わずにはいられなかった。

3日間くらいそのような不自由で
痛みを伴う生活を強いられた。
4日目くらいからは痛みもましになり、
管を抜いて楽になって、
ようやく付き添っていた由美子の
緊張した気持ちも和らいだ。

一週間後の胸のレントゲンで、
肺の穴が塞がれ、
肺の大きさが戻ってきているのを確認して、
浩介は退院することになった。

高校に入学して2ヶ月目で入院することになったので、
母親の由美子は勉強が遅れることを心配したが、
浩介自身はもうすでにいつから陸上の練習をしようかと
そればかりに気が行っているようだ。
親や家族にこれほど心配をかけながら、
自分は陸上の練習のことで頭がいっぱいなのだから
いい気な者である。

「先生、ありがとうございました」
退院の挨拶をする由美子と浩介に、
T先生は「右肺が自然気胸になった人の多くは、
左肺も気胸になると言われています。
左右同じように成長している場合がほとんどなので。
そのことは覚えておいてください」と言った。
こんな大変なことは一度で十分だと由美子は思ったが、
なんとも非情な予言を受けたのである。

そしてその予言通り、その年の秋、
懲りずに陸上の練習に勤しんでいた
浩介の左肺が破れたのだ。
T先生から聞いていたので、
「やっぱり」と言う気持ちだったが、
なんと浩介はあれほど痛い目をしたにも関わらず、
右肺の時と全く同じように手術を希望した。
陸上に対する情熱は衰えるどころか、
日増しに高まっているようで、
浩介の固い意志を覆す力を家族は持たなかった。
「一刻も早く手術をして、一刻も早く練習をしたい」
の一点張りだ。高校一年の秋、
2回目の胸腔鏡手術を受けることになった。

ここでお話しするのもためらわれるが、
浩介は1回目の手術の後、
常識的に考えたら恐る恐る練習を
再開しそうなものなのに、
いきなり走ってしまうと言う愚行に走り、
手術で塞いだはずのところを再度破ってしまっていた。

不審に思って由美子たちが確認すると、
1回目の手術したのは実はT先生ではなく
新米医師であったらしかった。
簡単な手術ということで、
経験を積ませるためだったのであろうが、
慣れない手術で状態が良くなかったのか、
浩介があまりに早く走ったことがいけなかったのか、
悲劇が起こったのだ。

手術が台無しになる結果にただただ家族は唖然とし、
憤りを抑えられないほどだった。
心配しすぎた祖母の光枝は高齢にも関わらず、
病院に乗り込みT先生に食ってかかった。
「簡単な手術だから、
失敗はないと言っていたじゃありませんか。
なぜ、先生が手術してくださらなかったのですか」
由美子も姑に続いて訴える。
「手術後すぐに走った浩介が悪いのなら、
手術の後しばらくは走るなと
おっしゃってくださればよかったんです」

浩介は自分のはやる気持ちが招いたことだと反省して、
T先生に申し訳なく思ったのか、
「若い先生に手術の練習をさせるのは必要なことだよ」
とT先生を擁護し、祖母や母の憤りを鎮めようとした。
そして結局、再度破れた右肺は自然治癒で
塞ぐことになったのだった。
なんというドタバタであろうか。

そんなこともあって、左肺の手術は、
T先生自らに手術をしていただきたいと、
家族で強く申し立てた。そして、その2回目の手術後、
ようやく、やっとのことで、浩介の願い通り
陸上競技に打ち込む日々がやってきたのであった。

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