文系で陸上(競技)オタクだった息子が医者になった理由10

子育て

その年の近畿大会は、和歌山県で
6月13日(木)から16(日)まで行われる。

県大会後の浩介は、
まるで気胸などなかったかのように、
毎日夜遅くまで練習をして
くたくたになって帰ってくる。
気胸を自然治癒で直して、
再発率50パーセントと言われているので、
由美子は今日もなんとか大丈夫だったと、
毎日冷や冷やとしながら浩介の様子を見守っていた。

浩介たちリレーチームは、
陸上のエキスパートである大島先生の指導の下、
400メートルを走るためのスタミナ作り、
走法の改良、バトンパスの技術向上など、
あらゆる策を練って
練習に情熱を傾けているようだ。
今年の近畿大会出場は9名。
こんなにたくさんで行ける近畿大会は初めてだと、
陸上部員の練習は日に日に熱を帯びて言った。

そして一ヶ月が過ぎ、近畿大会の最終日、
由美子はやはり近畿大会が行われている
紀三井寺公園陸上競技場のスタンドに座っていた。

最終日は午前中に4×400メートルの準決勝が、
そして全種目の最後に決勝が行われるのだ。
昨年は予選落ちだったが、
今年は大島先生の指導のおかげか
準決勝に進出できた。

由美子はこの準決勝が浩介にとって、
高校生活最後の試合になるだろうと思っていた。
近畿大会で予選を通過しただけでも凄いことだ。
準決勝で浩介が最後まで無事に走り切れますように。
由美子の願いはただそれだけだ。
両掌を組んで天を仰ぎ、深く祈りを込めた。

準決勝2組。第一走者の桐生君が3位、
第2走者の谷口君も3位でバトンをつないできた。
そして第3走者の浩介の400メートル。
浩介の前を走るのは大阪の強豪私立の
清風学園のユニフォームを着た選手だ。
第3コーナーを曲がったところで、
突然浩介のギアが1段階くらい上がった。
前の清風学園の選手に食らいつき、
無謀にも外から抜こうと仕掛けているのだ。
じっと浩介を見つめていた由美子は激しく動揺した。

あんなに無茶して大丈夫なの?
肺が破れるかもしれないのに
あんなに踏ん張って走って大丈夫なの?

ぐんぐんと力を込めていく浩介は、
第4コーナーを曲がりながらも加速を続け、
勢いを落とすことなく前の選手食らいつき、
そして追い抜いていく。
全力を込めて、怯むことなく、
意地を貫き、前の選手を捉えて離さない。
浩介が第4コーナーを曲がって
前の選手を追い抜いていく時の力強さに、
漲るパワーに、由美子はただただ驚愕し、
目を奪われた。

なんて子だろう。
なんて恐れを知らない子なのだろう。
「走れないなら死んだほうがマシだ」
と言った息子の本気を目の前で見せつけられ、
驚愕と衝撃が由美子の心を貫いていた。 

2位でアンカーに繋いだバトンは、
アンカーの沖田君の踏ん張りで
2位のままゴールした。
そして準決勝が終わった時、近江西高校は
7位のタイムで決勝戦に進むことが決まった。

準決勝の後、浩介は私を見つけて駆け寄ってきて、
「ね、ね、凄いでしょ?6位とは数秒の差。
 決勝で頑張ればインターハイも夢じゃないよ!」
なんてことだろう・・・。

由美子はちょっと気持ちの整理がつかず、
仕事で和歌山に一緒に来られなかった
父親の仁志に電話をかけた。

「大変なことになったの」
「ええっ?破れたのか?」
「ううん。破れはしなかったのよ。
 それどころか、浩介ったらね、
 3位でバトンをもらったのに、
 1人抜いて2位でバトンを渡したのよ。
 結局2位でゴールして、
 決勝に進むことになったのよ」
「凄いじゃないか」
「そう。信じられない。
 リレーで近畿大会の決勝だなんて。
 浩介ったらね、決勝で頑張ったら
 インターハイも夢じゃないなんて言ってるのよ。
 とんでもないわ。もう6月なのに
 これ以上陸上やっていたら、
 あの子大学受験無理よねえ。
 それより何より肺のことこれ以上心配するなんて、
 ありえないわ!!!」

400×4リレーの決勝戦は、
プログラムの最終にあり、
全ての選手役員が見守る中、
8チームの参加で行われた。
第一走者の桐生君は高校1年生で
まだ体力が十分でなかったのか、
1日で2回目のリレーでバテてしまった。
8位でバトンをつなぎ、近江西高校は
結局8位でゴールしたのだった。
由美子の願いはただひとつ、順位に関係なく、
浩介が最後まで無事に走れますように。
アンカーにバトンをつなげますように。
由美子の願いは叶った。
そして浩介の高校生活での壮絶な陸上競技生活は
とうとう幕を閉じたのだった。

全ての日程を終え、帰り支度をしている浩介に
由美子は一足先に家に帰ることを告げた。
その時浩介は由美子にこう言った。

「視聴率100%だったでしょ?気持ちよかったあ!」

なんじゃあそれは?視聴率100パーセントとは
どういう意味か一瞬意味がわからなかったが、
落ち着いて考えてみると、
陸上競技場の人たち全員が
最終種目のマイルリレーを見ていたという意味だと
帰りの電車の中でようやく気がついた。
由美子は浩介の脳天気な感想に心底呆れたが、
「とにかく終わった」という解放感で、
束の間肩の荷を下ろしたのだった。

その後、浩介たちは顧問の先生や
部員同士との数々の感動的なセレモニーを経て、
とうとう長かった高校での陸上競技生活を引退した。

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